一歩一歩進んでいく
●検索エンジンとアメリカ大統領選の関係は

 もうすぐアメリカの大統領選挙がやってくる。僕が最も興味を抱いているのは、この選挙結果がインターネットにどのような影響を与えるかということだ。毎日、仕事場の椅子に座ってそのことにばかり思いをめぐらしている。ブッシュ政権が打ち出した政策の多くは長期的に見れば、合衆国政府やアメリカ企業に世界をコントロールしてしまえるような強大な権限を与えてしまっている。このことで世界が受ける影響は計り知れない。だったら同じようなことが、インターネットでも起きるのではないだろうか? インターネットはアメリカのテレビ業界やラジオ業界みたいになってしまうのではないだろうか?

 その2つの業界がどのようになっているのか、ざっと説明しておこう。テレビ・ラジオ業界の現状は、インターネットの未来になるかもしれないから。

 ラジオが最初に発明されたとき、人々はこれこそが一般市民の参加できる、本当に民主的なメディアになるんじゃないかと期待した。革命的だった。でも最近、僕が久しぶりにアメリカに帰国してみたら、車のラジオから聞こえてきたFM局の音は、かつて人々が期待した民主主義とはほど遠く、耐え難いほどうるさいコマーシャルに満ちていて、クリエイティビティのかけらもなかった。空っぽだ。聞くに堪えないほどだった。

 その時、僕はあることに気付いた。帰国して僕は故郷で何人かの友人の車に乗せてもらったのだけれど、誰も車のラジオをつけていなかったのである。みんな、ドライブ中には音楽CDをかけているのだ。いつからこんなことになってしまったのだろう? だって僕らはラジオから流れる曲に合わせて口ずさみ、青春時代を送ってきた世代なのに。それは僕らの親の世代から、ずっとそうだった。

 いったい、ラジオに何が起きたのだろう? どうしてアメリカのラジオはこんなに空っぽになってしまったのだろう? 最大の理由は多分、1996年に電気通信法が議会で成立したことだろう。この法律はラジオに対する政府の規制を緩和し、おかげでメディア企業は数多くのラジオ局を買収して傘下に収めることができるようになった。Clear Channelという企業は全米に点在している数百のラジオ局を買収し、ひどい時には1つの街にあるいくつものラジオ局を丸ごと傘下に収めるようなことまで行なった。その結果、何が起きたかといえば、ラジオ局の多様性が失われ、インディーズのバンドがラジオで自分たちの演奏を放送してもらおうとすれば、否が応でもClear Channelを通さなければならなくなった。何しろ同社は、全米の65%ものロック専門局を支配しているのだ。そしてClear Channelはラジオの独自性も支配するようになり、今ではロックバンドのコンサートツアーをいつどこで行なうのかということまで彼らが決定しているほどだ。

 そしてここからが興味深い話になるんだけれど、Clear Channelはブッシュ政権を強く支持している。2003年にディクシー・チックスがイギリスでのコンサートでジョージ・ブッシュへの批判を派手にぶち上げた際、Clear Channelはすぐさま彼女たちの曲の放送を全米で取りやめた。アメリカがイラクに対する戦争を起こすと、Clear Channelは戦争に賛同する集会を各地で開催し、セプテンバー・イレブン以降にアメリカ国内で増えている過激な愛国主義者たちにアピールした。そしてClear Channelは今では65の国で1,300ものラジオ局を所有している。同社のCEOは他の投資家とともに1998年、野球チームのテキサス・レンジャーズを買収し、共同オーナーだったジョージ・ブッシュを大金持ちにした。この買収で、ブッシュ大統領は1,500万ドルものカネを得ているのだ。

 ベトナム戦争反対をうたった歌は、みんながいっぱい知ってるよね。でもイラク戦争に反対する歌を知っている人はいるだろうか? 歌がないはずはない。流れなくなっただけだ。そこがベトナム戦争当時と、今の大きな違いになっている。

 そしてラジオと同じことが、アメリカのテレビ業界でも起きつつある。連邦通信委員会(FCC)は最近、メディアの所有権制限を緩和する法案に賛同した。新しい所有権ルールは、現行の放送局が市場シェアを拡大することを許している。これでメディア企業は1つの街にある複数のテレビ局や新聞社、ラジオ局を所有できるようになる。この新しい法律が出来ると、ものごとにたいする多様な見解が視聴者に伝わらなくなってしまうのではないかという議論が起きている。シンプルに言い換えれば、アメリカの民主主義が弱体化してしまう可能性があるということだ。

 ではインターネットはどうなるのだろう?

 ロンドンに本拠地を置く市民団体のPrivacy Internationalが、インターネットの検閲と自由に関するレポートを発表している。

 「セプテンバー・イレブンによって、多くの政府が市民の反対にもかかわらず、規制を強める政策を打ち出すようになった。そして今や、監視テクノロジーは兵器産業の重要なサイドビジネスになりつつある。」

 「インターネットの普及は水平的なコミュニケーションを増大し、垂直的なコミュニケーションを減少させる効果をもたらしている。しかし政府による検閲と管理は、メディアに対する信頼を損ね、情報の流れを阻害し、結果としてインターネットに重大な影響を与える可能性がある。」

 「開発途上国はデジタル盗聴や暗号解読、スキャニング、追跡システムなどの監視テクノロジーを提供してもらうことで、先進国への依存を強めている。監視テクノロジーの第三世界への移転は、兵器産業にとっては実入りのよいサイドビジネスになっているのだ。こうした技術移転の助けがなければ、非民主的な政府はインターネットにおける反体制活動を監視し、コントロールすることができないのである。」

 また、スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授は、こう言っている。「アメリカの通信企業は、インターネットをテレビやラジオのようなコントロールされた配信メディアへと転回させようとしている。そしてそのために必要な技術的措置を、インターネットのインフラに加えようとしているのだ」。

 インターネットは、どちらに転がっていくのだろう? ホワイトリスト(好ましい人のリスト)か、それともブラックリスト(好ましからざる人物のリスト)か。前者は明白に許可されているもの以外は、すべて制限される世界。そして後者は、明白に禁じられているもの以外は、すべて許可されている世界。ミャンマーのような軍事政権下の国に住んでいない僕たちにとって、インターネットは後者のブラックリスト的仕組みで成り立っている。違法でなければ、どんなコンテンツであってもアップロードやダウンロードは自由だ。でもテレビやラジオはホワイトリスト的な仕組みになっている。放送を明示的に許可されたものだけを、視聴することが許されているからだ。もしあなたが政府の許可なしにラジオ局やテレビ局を始めようとすれば、重い罰が与えられる。

 ブッシュ大統領は、どんな複雑なことでも、いい(善)か悪い(悪)かで簡単に捉えてしまおうとする単純な人だとされている。でもインターネットが100%ホワイトリストになったり、あるいは100%ブラックリストになるというのは考えにくい。多分、一部はブラックリスト的になり、一部はホワイトリスト的になり、総体としては“グレーリスト”といった感じになるのかもしれない。

 じゃあもう一度問おう、ブラックリストかホワイトリストか、どちらの傾向が強くなるんだろう?

 「インターネットで影響力のある企業は、自分たちのビジネスが自由でオープンなインターネットがなければ成り立たないことに気付き始めている。例えばGoogleがそうだ。コントロールされたインターネットの世界では、彼らの検索エンジンは成り立たない」。アメリカのニュースサイト「MSNBC」の記事にそんなコメントがあった。

 インターネット社会が自由のために戦わなければならないという状況はますます進んでいるけれど、しかしネットのパワーがシフトしていくのを食い止めるのは非常に難しい。おまけにネットユーザーの多くが目の前で起きていることに気付いていない状況の中では、いっそう困難だ。

 ジョニ・ミッチェルの歌「Big Yellow Taxi」にこんな一節があった。「いつも過ぎ去ってしまうことに気付かないから なくなってしまうまであなたはそれを知らない 子供のころはラジオから流れる歌を聴くのが好きだった……」。



Internet watchより全て引用しています。著作権はInternet watch及びその記事の基となったところへ帰属します